東ティモール国立博物館の夢

シンクタンク構想日本のメルマガに載せていただいた記事です。

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東ティモール国立博物館の夢
               インドネシア語通訳・翻訳 北田 多喜

 東ティモールは来年で独立10年を迎える。長い苦しみの時代を経て2002
 年5月に独立したこの小さな国は、2006年には暴動が起きたものの、そ
 の後は前を向いて歩んできた。

 私は、2003年に国際協力機構(JICA)の大阪国際センターで実施された
 東ティモール国立博物館学芸員養成研修の仕事をする機会を得た。以来、
 その時の参加者とは折に触れ連絡を取り合ってきたのだが、ついにこの
 夏、二度目の東ティモール訪問の機会を得た。今回の旅の目的の一つは、
 東ティモール国立博物館計画が今どうなっているのか確認することであ
 った。

 道路などインフラもままならない東ティモールになぜ博物館が必要なの
 かと疑問に思う人も居るだろう。実はこの小さな国は34部族からなり、
 それぞれの言語、そして歴史を持っている。ある友人は「山の向こうは
 違うことばを話しており、お互いに通じない」と言い、またある友人は
 「日本人には信じられないだろうが、つい最近まで日本の戦国時代のよ
 うな政略結婚が部族間でごく普通だったのだ」と言う。だから、独立後
 この多様な人たちが「東ティモール人」としてまとまるためには、互い
 にその違いを、そして平和までの道のりを学びあう場所として国立博物
 館が必要なのだ。

 しかし、設立までの道のりは平坦ではない。実は、独立前にも東ティモ
 ールに博物館はあったのだが、独立前後の騒乱でコレクションはほとん
 ど持ち出されてしまった。インドネシア、オーストラリア、ポルトガル、
 ロシア等に流出している文化財は2000点を超えるといわれ、それらの収
 集には現在でも困難が続いている。また、国内においても、貴重な文化
 財が、その重要性の認識不足のため、また貧困のために、人々によって
 売却されてしまうという危険にさらされている。そのため、政府の博物
 館局の担当者たちは村々を回り、人々に、学校の子供たちに、これらの
 貴重な文化財が東ティモールにとってどのような意味を持つものなのか
 を説いて回っている。

 さらには、目に見えるものだけではなく、目にみえないものの記録、保
 存も急がれる。独立当初確認されていた34の言語は、9年経った今、既
 に16に減ってしまったという。

 前回のJICA研修で参加者が学んだのは、金銀財宝の展示が博物館ではな
 い、ということであった。要は、立派な建物や展示物以前に、何のため
 に博物館を創るのかが肝心なのだ。これは、博物館好きの日本人が改め
 て考えないといけないことかも知れない。東ティモールの人たちが、自
 分は何者か、東ティモール人とは何者なのかを問い、学びあうために創
 られる博物館。東ティモール人がひとつになるための博物館。その完成
 が待たれる。

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by takisalatiga | 2011-10-10 18:10


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