9月3日「東ティモールってどんなところ?」報告?

報告?

サルバドールさんの話し。先日修士を卒業したばかりのサルバドールさんが
準備してくれた内容は実はとても濃く、時間が足らなくて申し訳なかったです。
パワーポイントのデータからいくつかご紹介します。

東ティモールの概要
東ティモールは1999年8月30日より独立国となった。
2009年における東ティモールの人口は110万人。
50%が女性、出生率7.8%。人口増加率3.9%。
成人の非識字率は7.8%。1)
人口の88%以上が農家でその76%以上が地方に住んでいる。1)
人口の41%が国の貧困ライン以下にあり、その20%が一日1ドル以下、
63%が一日2ドル以下の生活である。2)
GDP(国内総生産)は3億3900万ドル(2004年)、
一人当たりGDPは366ドルである。2)
2006年の第三四半期のインフレ率は 6・3%。
東ティモールの総面積は 15007平方キロメートル、
そのうち耕作や畜産に適しているのは60万ヘクタール。1)

コーヒーこそ東ティモールのゴールデンプリンス!
ほぼ1世紀の間、高地に住む農家にとって重要な現金収入源となってきた。そしてまた東ティモールの主要輸出品でもあった。(80%) 、さび病に強い自然交配で出来たティモールハイブリッドであるロブスタ種、そしてさらに高品質のアラビカ種は東ティモールに起源を持ち、その後改良と選択を重ねた結果、現在では世界中で栽培されている。ティモールからの有機認証コーヒーは世界市場で高価格で取引されてきた。よって現在の低価格からも農家を守っている。
また、経済的側面以外にも コーヒーはほとんどのティモールの地形で見られる急峻な斜面の土壌を守ってきた。コーヒー農園では普通表層に豆科の樹木、 パラセリアンテス ファルカタリア (アルビジア),モクマオウ、ギンネムが土壌を守り、肥沃にするために植えられている。第二層には土壌を固定するためのコーヒーが植えられており、第三層にはそれらを覆う役目をする雑木草群がある。

東ティモールのコーヒー産業
中国の歴史資料の記録によれば初めて東ティモールに国際経済が入ってきたのは15世紀、
白檀を求めてであった。白檀の貿易は商品作物、蜂蜜、ろう、奴隷(人身売買)司令官を島においた。19世紀に主要輸出品が白檀からコーヒーに変わるまで続いた。
16世紀から18世紀半ばにかけてオランダとポルトガルがティモール島の分割しようとし、1749年に分割された。西部はオランダに、東部はポルトガルに統治された。
19世紀初頭にポルトガルがコーヒーを東ティモールに持ち込み、1860年代にコーヒーが植民地の輸出品となった。

東ティモールのコーヒー生産者
約4万4千世帯(約20万人)が主な現金収入をコーヒーから得ている。(世界銀行2002)
主なコーヒー生産者はエルメラ県に集中している。マヌファヒ県、アイナロ県、リキシャ県
もかなりの量のコーヒーを生産している。一方アイレウ県、ボボナロ県では生産している
ものの減少傾向にある。 (Baffoun, WB,Laird).
年の収入は一世帯あたり127ドルから200ドル、そのうち90%の収入はコーヒー
の収穫から得ている。(世界銀行)
コーヒー価格はチェリー(実)の状態で1キロ当たり15〜18セント、
パーチメント(チェリーから果肉をとった状態)の状態で買い上げるいくつかの業者では
1キロ当たり、35〜43セントである。
(注:今年は不作で裏年で豆が不足しており価格は高騰している)

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by takisalatiga | 2011-09-14 17:09


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